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毎月生活費足りない主婦の体験談まとめ

家計の苦しさは主婦の悩みの種ですが、それが瞬間的な苦しさならまだ我慢もできます。

しかし毎月金欠状態が続くのはやりきれないですよね。

ゴールのないマラソンを走らされているようなものでじりじり破綻に近づいていきます。

今回は継続的な生活費の不足に悩む主婦の声を集めました。

苦しい経験の中に悪循環を抜け出すヒントがあるかも。

 

無理のある住宅ローン

住宅ローンを組んでるんですが毎月95000円です。

旦那の給料は25万なので約半分住宅ローンで持っていかれます。

ボーナスは0。

そして今月は団体信用保険の支払いがあり11万です。

住宅ローンの支払いとあわせると20万の支払いとなります。

残りの5万で今月やりくりしなきゃいけません。

無理ですね。生活できません。

5万の中に保険代3万、娘の保育料3万と既に赤字になり生活費が全くなくなります。

なので親の通帳を預かってるのですがそこから借りることにしました。

 

転勤続きでたまらず退職

もうすぐ 結婚28年目。

転勤族の夫、28年で引っ越しの回数は7回。

その内、1年おきに続いたのが3回。

さすがに、もうそろそろ落ち着きたいと思った矢先、北海道から本州に移動になり、その半年後 また北海道への移動の話が…。

こればっかりは夫婦共々納得がいかず、結果 会社を辞める事に。

夫 50代、約半年遊びまくって 退職金はあっという間に底をつきようやく見つけた派遣社員、今までは 会社からの家賃負担があったのが 無くなってしまった為 その支払いは大きい。

しかも、車のローンもまだ残っている。

私のパート分足しても マイナス続き。

結果、家賃2か月滞納(今も分割で支払い中)

米と卵、時にはただの塩むすびで食い忍んでいます。

 

急な進路変更で生活が困窮

今から4年前に中学三年生だった長男が学区内の公立高校へ進学すると思っていたのに、急に希望校が変更して県外の高等専門学校への入学を希望し寮に入る事になった時が生活苦でした。

公立高校なら就学支援金制度で授業料は無料になるのに高専は授業料がかかってきますし、寮への準備品に寮費、食費、生活費となにかとかさみ苦労はさせたくないので思いやるとこちらの生活はひっ迫して、食事で切り詰めなければならなくなりました。

食事は焼きソバ、とろろご飯、安物の鍋、野菜カレーライスと節約料理ばかり。

そんな生活なのに毎年襲い掛かって来る『固定資産税』『自動車税』『車検代』『車の保険代と家の火災保険』は逃げる事ができません。

とうとう自分の保険を解約したり、昔に買った金の指輪を売りに行ったりととても辛かったです。

いまもさほどかわりませんが、もうすぐ長男は独立してくれると思うので我慢して乗り切ろうと思います。

 

家で顔を突き合わせるのが息苦しい

生活費は貯金を切り崩して生活。

やばかったのは税金の支払い。父は以前から納付し忘れていたものがあり、それの支払いが大きかった。

地獄のような3月が過ぎ四月から夫は職業訓練学校に通い、私は父に子供の送り迎えを頼み働きに出ました。6月いっぱいで学校を卒業して、7月中には新しい職場に就職できなんとか基盤はでき安心しました。

とにかく家の中で無職で金欠のため毎日4人全員がうちにいることが息苦しくてしかたなかった。

どこにも出かけられなくてしんどかった。

春先だったので暖房は3月になったらすぐにやめ、子供とはショッピングモールや公園で時間を過ごしトイレも寄って帰った。

とりあえず働ける人は働く!

みんなが何をできるか家族でよく話し合う。

 

もやしや豆苗をフル活用

私は現在2人の子供の育児中です。

結婚5年目にして、主人の単身赴任が決まってしまいました。

同時期に上の子の幼稚園入学も決まり、物入りな日々が続き、金欠になりました。

一番やばかったのは、主人のアパートの敷金礼金です。

会社の都合で行くのに何でこっち持ちなの…とイライラしてしまいました。

幼稚園の支払いも迫り、ピンチが続きました。

支払いは何とか貯金を切り崩しましたが、ピンチに変わりなく、ご飯はもやしや豆苗をフル活用して節約しました。

何があるかわからないのでら日頃からしっかり貯めておくことが大事だと思いました。

 

給与管理で家計コントロール

旦那の給与などを管理するようになりお小遣いを渡しています。

が、それに慣れてきたのか、私が何も言わないからなのか、お金をよく使うようになりまして、そこから生活に苦しい時もありした。

その時はちゃんと相談して生活に困るようなまでの出費はしないと約束しましたが、子供が増えるとやはり、節約してもしきれないくらいの出費はでるときがあります。

急な出費、特に車のことや、病気のことは予測、管理できることなので、怠った時は結構切り詰めてました。

なので辛かったですが、それを気に予測しながら生活費を少しでも浮かすように、貯めるように頑張っています!

 

介護のために将来の貯金まで切り崩し

昨年、認知症の母の介護のために私が仕事を辞めて、更に実家の稼業を立て直すことになり、そのために自分達の貯金を資金に回したところ、予想以上にお金がかかってしまい、一気に金欠に。

初期投資、と夫と二人、毎月の支出、削れるものは削ってきましたが、10年前に買った家のローン、こちらの支払いが徐々に負担になってきました。

しばらくの間、やりくりに四苦八苦していましたが、結果的に老後のために貯めていた貯金をペナルティーを支払って解約。

少しずつ切り崩しながら体勢を立て直しています。

私が仕事に復帰するのが一番簡単な解決方法なのでしょうけれど、母の面倒を考えるとそれもままならず。

介護の問題が絡むと自宅で介護も、施設に入ってもらうにしても、経済的、精神的負担があり、どちらが良いのかの判断も非常に難しく厳しいです。

 

学費の計算は必須

上の子どもが私立の高校に通い始め、下の子どもが中学生で高校受験のため、塾に通うようになり、教育費がかかり、毎月数万円の赤字になりました。

収入は増やせなかったので、貯金を切り崩してしのぎました。

教育費がかさむのは、あらかじめ予想できるし、時期も限られているので、永遠に貯金を切り崩し続けることはありません。

子どもたちが就職するまでの我慢です。

あと、子どもが赤ちゃんの頃からかけていた学資保険も助かりました。

うちは、満期時たった100万円しか出ない保険に入っていただけですが、それでも、あるとないのとでは大違いでした。

 

無駄な出費が多すぎた

私が結婚をして、それまで勤めていた会社を辞め、旦那の家に入って主婦をしていた結婚一年目です。

旦那が当時、新しい仕事を始めたばかりで給料は少ない上に、会社の人やお客さんと飲み会ばかりで、ムダな出費が日々増え、仕事の付き合いだから仕方がないという理由で私もあまり制限できず、生活費が本当になくて、結婚前に稼いでいた私の貯金を崩して、生活をしていました。

税金や保険の支払いに加え、冠婚葬祭などの出費も重なると、大きな出費が増えて、本当に辛かったです。

 

本代にまわった生活費

旦那さんが司法書士の勉強をするための本を沢山買うようになったので現在妻の自分の方がお金をあまり貰えなくなりました。

当然のように金欠となってしまい、前から続けていた派遣のアルバイトも辞めたので、かなりの金欠状態です。

相当なピンチの時には実家に援助を頼むより仕方がないくらいです。

旦那さんが貸してくれるカードで食費の買い物をし支払いを先延ばしにしているのと、とにかく節約ばかりするようになり、何とか一日三食を維持するのみです。

 

日払いと月払いの合計で

結婚後お互い非正規で働いていて旦那が日雇い派遣で私はスーパーの食品レジでフルパートで働いていました。

収入に関しては旦那は日払い私は月収の形です。

生活はギリギリで貯金ができるかできないかぐらいで、お金がないときは私の両親に事情を話し金銭ではなく食料をもらってピンチを脱してきました。

時には、両親も心配になり金銭を渡そうとしましたが、自分の両親に金銭を借りるなんてよくないと思い拒みます。

収入少ないですが、完全にライフラインが止まることはないので助かってます。

 

慣れない土地で貧困生活

私達は若いうちに結婚をしました。

私は学生で、彼は社会人になりたてでした。

翌年私は学校を卒業しましたが、彼が地方に転勤になったので引っ越す事になりました。引っ越し代の援助はありましたが、自己負担も多く、そして私も慣れない土地でなかなか仕事も見つかりませんでした。

彼のお給料だけでは生活費もギリギリで、でも親は結婚に反対していたので援助もしてもらえませんでした。

しばらくは食費や公共料金を必死で工夫と我慢で節約しました。

その後私も仕事を見つけたので、少しずつ生活も安定していきました。

その時は極度のストレスと不安で毎日のように夫婦喧嘩をしていました。今はお互い三十代後半になり、よく頑張ってここまで来たよね、その時代の大変さが夫婦の絆を強めてくれました。

 

ついに来た給料ゼロの生活

結婚15年目、子供が中学生と幼稚園児の頃でした。

旦那はキレやすい人で、気に入らないことがあればすぐに物に八つ当たりしていました。

なので私は怯えていることもあり、旦那に対して強く言うことができませんでした。

旦那の給料は少しずつ少なくなっていきました。

専門職なので、私には何も分かりませんでしたし、聞いても答えてくれませんでした。

そして旦那の給料0円生活が始まりました。

旦那は「いつか給料が入るから。必ず良い生活をさせてやる。」といつも言っていました。でも入ることはありませんでした。

今まではお金があり、貯金もしていたし保険もかけていたので、それを切り崩す作業から始まりました。

少しずつ貯金をおろして、そして保険も解約しました。

私もパートで働きに出ました。

でも下の子が小さかったのもあり、正社員で働くことができず、パート勤務となってしまいました。

切り崩しても働いても、出費の方が大きくてマイナスでした。

子供には衣食住では不自由させたくないと思い、金融機関に借金してしまいました。

私名義と旦那名義両方で。それで何とか食べていくことができました。

一番ヤバかったのは、上の子の高校進学の際の学費でした。

本当に申し訳なかったのですが、子供には奨学金を借りさせて、高校を卒業させました。

私は金欠時はとにかく、食費を削ることに専念しました。食費が1番手っ取り早く削れる生活費だと思ったからです。私は毎日、日の丸弁当でした。

晩御飯はどんなメニューの時でも2人分しか作りませんでした。子どもの分だけです。

私と旦那は白ご飯とみそ汁で毎日しのいでいました。

結局、親の遺産で何とか返済することができ、子供たちも無事に親の元から巣立ってくれたので、今では笑い話にできます。

旦那の言うことは当てにはなりません。「いつか」や「そのうち」というあいまいな言葉ほどいい加減なものはありません。自分たちの生活は自分で守らなければなりません。

旦那に頼り過ぎるのではなく、自立、自活できる主婦、母親であることが望ましいと私は感じました。

 

同居で増えた出費

結婚をして仕事を辞め、専業主婦になりましたが、旦那の給料ではまかなえず、パートに出るようになりました。

子供に恵まれず二人の生活が続き、お金に余裕ができて二人で外食、買物など贅沢な生活をしていました。

でも、パート先がつぶれ、次のパート先を見つけるまでに、年をとり体力も衰え、なかなか次の職がみつかりませんでした。

その間、旦那の給料だけになり、旦那の両親と同居することになり、収入は減り、出費が多くなり、その時が一番困りました。

とにかく、節約と思い、食材を考え、車を使わず自転車を乗るようにして、なんとかピンチを乗り越えました。