生活費の少なさは主婦一番の悩みの種ですよね。
今回は生活費が足りない経験をされた主婦の体験談をまとめました。
お金に困っていると言ってもその状況や原因は人それぞれです。
失敗は成功の母。
経験談から金欠になるきっかけや脱出した方法をぜひ参考にしてください。
塾代金の立て替えが生活費まで圧迫
結婚14年目の昨年、生活費に困ったことがありました。
長女が塾に通い出してその費用が毎月かかってきたのですが、その塾の引き落とし口座がゆうちょ銀行しかなく私しか口座を持っていなかったことから私が立て替えてその後支払いをしていました。
しかし夫が多忙により生活費を渡すことを毎日忘れていて、数か月間私が立て替えている状態になりました。
1か月あたり15000円が何か月か続いて私が所有していたお金も減り、食費や日用品を買うのが苦しくなってしまいました。
夫に伝えても明日渡すと言ってまた翌日忘れてしまうという繰り返しでした。
このことを実家に帰って両親に愚痴として話していたら、祖母がちょうど生前贈与を考えていたようですぐにまとまった現金をくれました。
今日の食事代にも困っていたのでお金は喜んで受け取り、夫もその後生活費をきちんとくれたのですが生活費を圧迫する原因となった長女の塾に関しては、再び夫が生活費を支払わなくなると困ると思ってやめさせました。
新生活の準備に使いすぎ
結婚1年目にかなり困窮しました。
これまで貯めてきた貯金を新生活の準備にほとんど使ってしまい、これから貯金をまた始めようというときに主人が急病になり入院。
それが延長になったりして予算よりも大幅に医療費がかさんでしまい、それに加えお祝事や出張費などもどんどん出て大変でした。
少しずつためていこうと思っていたへそくり的なものも食費に崩して使わなくてはいけなくなり、人件費をおさえるとパート先から時間を減らしてほしいとの打診があったりで、収入も少し減り食費や日用品を買うのすらつらい状況になりました。
災害と妊活が重なった金欠
2018年の7月の西日本豪雨により、引っ越して1年たたずして住んでいたアパート(引っ越し当時新築物件)が浸水してしまい、契約打ち切りになり引っ越しをしないといけない状況になってしまいました。
しかも、私は不妊治療(旦那理由)のために病院に通うため仕事を辞めてしまったばっかり。
それに加えて、旦那の浪費が重なり…といった状況になってしまいました。
引っ越すお金なんてないのに、管理会社からは出て行けと言われ、かといって代わりの物件は自分で探せ。な〜んの保証もしないよ〜。といった対応です。
とにかく、日々の食費もままならぬ状況で、自分の服や本を売り日銭を稼ぎ、1円でも安い食材を使って生活をする日々でした。
あとは、自分の実家にもすこしたよってなんとかその1か月を過ごした感じです。
病院代は自分の親に頭をさげて、出してもらいました。
正直、旦那側の親も口ばかりで何も手助けはしてくれなかったのには、本当にイラっとしました。
旦那の知らない通帳を作って、そこに1円でもいいから少しずつ貯金をしておけばよかったと思う今日この頃です。
今は、なんとか、自治体からのお見舞金もあり、やっていくことが出来ています。
なぜか一家全員無職状態に
結婚7年目、四月から幼稚園に通う子供がいたその年の1月。
夫、私、子供の3人暮らし。
1月、実家で一人暮らしだった私の父がインフルエンザになったことが引き金になり前からの持病が悪化、仕事を辞めてうちに引っ越してくる。4人家族になる。
2月、引っ越しが終わった頃冬の寒さに前から悪かった交通事故で負傷した古傷が悪化、仕事ができなくなる。
現場仕事だったため、数日後辞職。
3月、有給を使い切った夫、微々たる額しかもらえなかった退職金を使い切った父、出産を機に専業主婦になっていた私、来月入園を控えた子供‥。
4人家族中、大人3人全員無職‥。地獄のようだった。
唐突な農業宣言
結婚2年目、子供をそろそろ作りたいなと思い始めてた頃でした。
急に夫が仕事を辞めてきた、これからは農業をやろうと思う!と。
返す言葉が一瞬無くなりました。
その時の生活は私はパートで、夫は営業職。
その後の生活はお金を何とかやりくりしていたのですが、子供ができたときように貯めていた貯蓄もどんどん減りました。
食べ物などは実家に相談してお米を送ってもらったりしたのですが、問題は家賃でした。
今後の生活も含めて大き目の賃貸に住んでいたので、引っ越しをするにしてもお金がかかるし、とてもしんどかったです。
私の時は、疲れている夫の姿は気にはなってたのですが、その時は夫をしっかり支えられなかったなと反省しました。
夫のちょっとした変化を察する、ちゃんと面と向かって話しあうことが大切。
自営業は不景気のアオリをもろに喰らう
結婚五年目、子供が三人います。
旦那は自営業で不景気で収入が不安定になりました。
食費すら削らなくてはいけなくなり、春だったのでなすやトマトやきゅうりなどの苗を買ってきて夏に向けて節約のを開始しました。
そして、お金にやりくりがどうしても回らないときに、マルイのエポスキャッシングでお金を借りて生活費を払いました。
そして子供の着なくなった服はフリマアプリを使って少しでもお金を稼いでいました。
現在ではパートを初めて生活費も落ち着いてきました。
海外の散財が響いてパートで泣く羽目に
結婚5年目のことです。
友人とイタリアに行き、欲しかったブランド物をこの時とばかりいくつも購入、クレジットカードの明細を見てどうしようと思いました。
生活費として月12万もらっていたけれど到底足りない、そこでまずはリボ払いに変更してその月は乗り越えました。
しかし、月々1万円コースでは残金はいつまで経っても減りません。
夫にも言えないし、このままではいけないと近くのドラッグストアでアルバイトを始めました。
店長が嫌味な人で何度涙を流したか分かりません。
1年でどうにか返済しましたが、金欠になったらすぐさま働いて収入を得る、これしかありません。
借金の負い目で義両親に顔を合わせづらい
持ち金もないまま一緒に住みたいという理由だけで結婚した私たち。
結婚2年目、お互いに仕事の時間帯も休日もバラバラだった為すれ違いが多くなっていきました。
そんなある日夫が私と同じ時間で勤められる仕事を探すといい会社を辞めました。
私の収入だけでは生活していくのには到底足りないことは分かっていたのに、思い立ったが吉日!というかのようにあてもないまま辞めてしまいました。
挙げ句の果てに転職先がなかなか決まらず数ヶ月が経ち、切り崩していた貯金も底をついていました。
家賃などどうしてもかかってしまう生活費からは節約できず食費でどうにか抑える他なく、もやし・もやし・もやしの生活をしていたのを覚えています(笑)
働いていた頃は何も感じず支払われていた健康保険や住民税などの分厚い納税通知書を見るたびにため息ばかりでした。
最終的には夫の両親からお金を借り滞納もなく済みましたが、両親への借金は残ったままです。
いつになったら気を遣わず義理母と会話をできるようになるのかと不安ではありますが、支援がなければ本当に生活できていなかったのでとても感謝しています。
夫にはこれまでより一層仕事に励んでもらいたいと思います!
事故った旦那のあきれた言い草
結婚して1年半ほどたった時ですね。
旦那は電車通勤が嫌いだったので普段バイクで通勤をしています。
その年は台風が多くて天気も悪かったので、通勤の際に転んで事故でも起こしたら…と不安に思っていました。
そんな嫌な予感は的中するもので、天気が特に悪かったその日、1本の電話が入りました。それは救急隊員からの電話で、現在単独のバイク事故で搬送中だという連絡でした。
それから出血している箇所の縫合手術を行い、入院をする事になったのですが、旦那は裂傷以外は骨折もなく健康そのもの。
バイク壊れたから新しいの買わなきゃ!なんてバイク屋さんに連絡するほどでした。
いや、また性懲りもなく乗るのかい!と突っ込みを入れたくなりましたが、電車通勤がとことん嫌な人だったので退院したらすぐにでもまた乗ると言ってききませんでした。
しかし、問題なのは金銭面。
車検がある月が迫っていたので退院日までに支払う費用に余裕がありませんでしたし、バイクの回収でレッカーが出動したのでその分で2~3万ほどかかりました。
私も持病があり働きに出るのは厳しかったため、副業をこなしつつ支払いの際のお金は貯金を切り崩して、食費も抑えつつどうにかやりくりすることにしました。
それでも旦那が職場復帰するまでの間は日々赤字です。
自分の病院代のこともあるので、日によっては自分のご飯を抜くこともあり、旦那には食べていると嘘をついて一日一食という日もあったほどです。
とりあえず諸々が落ち着いた頃に、ケガの跡が残るという事で旦那の実家に連絡を入れました。
現場で起きた事と怪我の治療の具合、傷跡が残ることを報告し、入院と手術を終えて自宅で療養しているというのを伝えました。
そうすると、向こうの家族が「うちのバカ息子が申し訳ない…金銭的に厳しいだろうからと支払いに使ってくれ」と、お金を振り込んでくれるというんです。
ありがたくはありましたが、とても申し訳ない気持ちにもなりました。
その後は保険が適用するということだったので、加入していた保険屋さんに連絡をとって必要書類を聞いてメモし、きちんと申請をしました。
その数か月後くらいですかね、かなりの金額が返ってきたので最終的には負担額はそれほど多くはありませんでした。
勉強熱心な娘の学費
娘の学費に苦労しました。
娘は勉強熱心だったため、塾や教材にかなりの費用を要しました。
そんなときに、主人がある病にかかり、入退院を繰り返すことになり、重なってしまったのです。
私がパートで稼ぐのは追い付かずかなりの節約もしていましたがとうとう私まで腰を痛めてどうにもならなくなりました。
もう限界、ガードローンにてをだし、返済にもかかるようになって始末できなくなりました。
精神的にも落ち込まれ、主人の実家と私の実家の両方に助けてもらいなんとかなることに。
あんな思いは二度としたくないから、今はしっかり家計簿つけて管理出来るようになりました。
前年の住民税が大きな負担に
結婚して主人の転勤についていったので、自分の仕事をやめてしまいました。
引っ越し先は、共働きが当たり前の地域だったので、苦労しました。
パートをしていましたが、子供が産まれるのに伴って辞めざるを得なく、保育園にも入れる見込みがないので再就職もできませんでした。
自分の独身時代の貯金を切り崩しながらの生活をしていました。
一番大変だったのは、昔から入っている生命保険の支払いでした。
さらに自分が前年度働いていた時の住民税を払っていたのが大変でした。
余裕のあった経済状況が一変
結婚7年目、夫婦で共働きのため、経済的にはかなり恵まれている我が家です。
資産運用にも積極的で定期や投資にも積極的にてを出しております。
しかし突然の不慮が重なり、金欠となりました。
当分使う予定がない大きなお金があったので、1年以上は手をつけない資産運用の手続きをしました。
夫の普通預金で浮いていたお金も定期に入れ、給料日まで1週間、手持ちの現金で全然生きれる予定でしたが、突然無免許の高校生に追突され、吹っ飛び着地からの乗っていたバイクが自分の上に落ちてくるという大事故が発生しました。
そのまま30分ほど意識を失い、救急車で運ばれました。
骨は折れていませんでしたが、結構重度な脳震盪で3週間ほど昏睡状態が続きました。
治療費を保険会社に請求する前に立て替えねばならず、高額な現金が必要になりました。
でも、入院中だし、昏睡しているしで、資産運用が崩せない。
大事故の翌日、夫も突然当月で解雇されることになりました。
日本と違って海外の会社というのは、かなり責任感が薄く、福利厚生などもちゃんとしていません。
来月から私の収入で生きることになりました。
給料日を期待していただけに預金や資産はあるのに現金がないという意味の分からない金欠…。
入院すると看護師を1人雇わないといけなくなるので、その出費も現金でかかります。
というわけで昏睡から覚めた5分間で退院。
どうせ昏睡するなら自宅でと強く主張しました。
退院して立て替えた医療費で1週間以上の現金を使い果たしたので、明日から何を食べるのか?となり、冷蔵庫・冷凍庫・ストックの中だけで当分生き延びる計画を立てました。
これまた昏睡から覚める10分くらいの間でリストを作成…同時に友人に自宅で食べない食べ物があったらうちで引き取ると連絡しました。自分の家もですが、意外と余っている食料があるものです。3か月以上、食料を買わずに生きれました。
事故にあったからといって友人からお金は一切受け付けませんでしたし、わざわざ買ってもらうこともありませんでしたが、持つべきものは知恵と気合だと改めて思いました。
お金があっても知恵と気合がなかったら、お金が尽きたら終わりです。
金欠・緊急時ほど女は強いです。自分でも昏睡から覚める10分くらいの間に、体も痛いし、左腕は皮がなくなり、肉が丸出しだったのに良く今後の生活費プランを立てれたと思います。
体外受精で飛ぶようにお金が消える
結婚して5年、タイミングを合わせても何しても妊娠しないので病院へ行くと私が卵管閉塞ということがわかり、体外受精を余儀なくされました。
お金がかかることはわかっていましたがどうしても子供が欲しかったので大学病院で体外受精を受けることに。
当時私は正社員でしたが、毎日の注射(自宅注射だと一日15000円、病院だと4000円ちょいだったので)のため病院へ行っていたのと、採卵や移植など日々病院でチェックして行う治療が多かったのでアルバイトにしてもらい午後からの勤務になりました。
なにが辛いってとにかく湯水のように1万円札がなくなります。
採卵10万〜15、培養5万、移植10万、それ以外にも薬や注射(1回10000円程度のものもあります)、バス代などの交通費もバカにならず、とにかく一週間で20万くらいはおろしていたと思います。
150万と決めていた費用がみるみるなくなって、仕事をしたくても時間的にできないし、旦那も飲食店勤務なので高給取りではく、ストレス発散のため外食♪なんていう他人の妊活ブログに気がどんどん滅入っていきました。
時は流れ…実のところ体外受精を諦めて子供をもたない夫婦となりました。
そこまではお金だけでなく精神的な苦痛も多々ありましたが、今は夫婦そろって仕事をし、私もアルバイトからどんどんキャリアを積める内容へ変更。
一時体外受精でお金はガクッと減りましたが、どんどん稼いで貯金的にも当時より200万ほど増え、夫婦二人の老後に向けて今のうちからどんどん貯金しています。
肉体労働で体を壊した時の恐怖
私は内縁6年目になります。
彼というか?旦那さんは私より一回り以上も上で50歳は過ぎています。
もともと肉体的な仕事をやってきた旦那さんですが、はしゃぎすぎたのか?鉄筋を運んだりする仕事を工場でしていたようなんですが、鉄筋がすごく重いのでひょんな時に腰を痛めてしまったみたいでお仕事を辞めるに至りました。
それから貯金を崩して生活をしてきました。
それから、なかなか旦那さんがお仕事が決まりませんでした。
私は在宅ワークの仕事をしていましたが、お金が稼げずにいました。
逆に断捨離をしてミニマニストを目指すとお金が貯まるのかなと頑張ってみましたが、それほど貯まらず辛い思いをしていました。
風水も関係するのかなとインテリアにも力を入れてみると少しは運気が上を向いてきたようで、旦那さんの新しいお仕事も決まりそうです。
しかも食材の購入日などにも工夫をしてみたりしました。
そうすると少し食費が浮いたような気がします。
でも一時は自分は食べられない日が来るのではという恐怖に襲われました。
すごく恐怖でしたね。あの恐怖は味わいたくないですね。
やはり食費と光熱費の見直しは定期的に行ったほうがいいと思います。
夫婦揃って難病に
結婚後、二人で自営業を始め10年以上経った時に難病になり入退院を繰り返すことになりました。
自営業の為、休業補償や給付金なども受けれなく、休めば収入が全くなくなる。
入院費、治療費、薬代に生活費、自営店舗の家賃や駐車場代など、すごい額の金額が毎月必要なのに難病がわかるまで病院をたらい回しにされ、検査をする検査費用。
難病で緊急入院生活2ヶ月、その後入退院を繰り返し貯金は数ヶ月で無くなり、一年以上経った時は自営業を辞める事にしたものの、一人だけの収入では生活するので精一杯でした。
現在も難病の為、就職出来ず国や政策では難病患者や障害者の雇用受け入れ対策と言っていますが、現実は全く受け入れてくれない。
難病になり、治療費が必要なのに働かないと言った現実。
日本は全く優しく無い、難病患者に冷たい国です。
旦那の車代で実家ぐらしに
私がまだ23歳の頃です。
夫の収入は20万円くらい、私の収入は16万円くらいでした。
二人暮らしでしたが、旦那の給料は車の改造費とサーキットやガソリン代にほとんど使われていました。
実質、私の給料で家賃や食費などをまかなっていました。
私が妊娠をし旦那の給料だけで生活しなくてはならなくなりました。
そうすると車にお金が使えなくなり、苛立ちはじめカード会社に借金をし始めました。
返済のあてもないのに借り始めたので義母に相談をしました。
そこで旦那の実家に入ることを提案されました。
借りてる借金は即義父が返済してくれる・家賃は3万円でOK。
実家には入りたくなかったけど、家賃3万は魅力。
子供のために貯金もしたいし私もいつ働けるかわからないでのしかたなく実家に入ることで解決しました。
転職と退職・引越の金欠
結婚5年目にして、今迄夫婦共働で何不自由ない暮らしをしていました。
社宅から引っ越しをする際家具家電一式購入し貯金もなくなりましたが、働いていたので何の不安もありませんでした。
が、その直後旦那の転職が決まり私の退職と再びの引っ越しで全くお金が足りなくなりました。
その後生活費はもちろん家賃や光熱費などだんだん滞るようになり私も仕事を探し働きました。
ですがそれでも足りず毎日その日暮らしの状態で少しづつ親から借りながら生活していました。
その後いろいろな仕事を増やし収入源を増やしたり出費を最低限に抑える努力をし今は何とか生活しています。
事故後の貧乏生活
結婚したときもうお腹に子供が居て、私が仕事できないからその時もしんどかった。
けど、子供産まれてしばらくして朝、旦那から電話かかってきて事故して廃車で止まってる車に旦那がぶつかった言われて。
そこから新しい車、そして旦那は怪我で仕事にもさしつかえ出て、その時がほんまにしんどかったです。
貯金もほぼなかったので、初めてあんなに食材買うのに時間かかりました、
悩みすぎて、勿体なくて、もうしたくないけど、なんか今思うといい経験です笑。
農業は米価格の変動がきつい
結婚3年目のことですが、子どもが1歳のころ、旦那は農業なのですが、毎年のお米の値段の変動でその年はかなり収入が少なく、野菜の売り上げも落ち込んでしまいました。
5月にまとめて払う保険の支払いが滞ってしまい、私は派遣の登録の仕事、スーパーのレジの仕事を掛け持ちでやることにしました。
なんとか、その分の支払いはまとめて稼ぐことができたのですが、家族を養ってもらいたいという気持ちもあったので、旦那にもアルバイトをしてもらって現在は何とか落ち着いています。
あせって寮から出たことを後悔
お家を借りて引越しした途端に旦那の仕事が無くなりました。
引越しする前は会社の寮で生活していたので家賃はかからず、光熱費だけ支払いだったのでとても生活に困ることもなかったのです。
しかし、もうすぐ子供が生まれる予定だったので、旦那の親が引越し費用を負担するからという理由で急かされて引っ越しました。
旦那の仕事が無くなって家賃や支払い全て苦しくなりました。
何で急いで引越ししたのかとても後悔しました。
その為今でも、生活に余裕がなく支払い等は期限を延期して支払いしている途中です。
子供が大きくなってこういう生活にならないようにしたいと思っています。
人に焦らされて行動するのはやめようと思い今は考えて行動しています。
実家からの無心で訪れたピンチ
結婚2年目の時育児休暇中で定期的にハローワークからお金が入ってきていて安心してました。
もう少しで育休も終わりに近づいていた時、ハローワークから入金があったのを思い出して確認したところ15万の入金があったので安心し切ってこどもの洋服などにかなり使っていました。
旦那からの生活費も子供のためにかなり使っていて1ヶ月で5~6万使ってた気がします。
そんなある日、私の実家から急に15万貸してくれと言われ、貸したところまさかの残高1万しか残りませんでした。
旦那からの生活費も残り2万で残りの半月を過ごさなくては行けなくなりました。
支払いは旦那がしていてくれたので大丈夫でしたが食費や雑費にかけられるお金がなくなりカツカツの状態でした。
それ以来子供の服や色々な雑貨を買うときはかなり慎重に買い物をするようになりました。
急な出費の時のために備える様になりました。
家電のまとめ買いでモヤシ生活に
結婚して一年目の話しです。
お互い働いていたのですが、家を借りて一緒に住むようになりました。
一緒に住むことにより必要となるものを購入する事があり出費が重なりました。
家電製品や日用品、全て購入した結果、生活費もギリギリのところまで来てしまいお互いの貯金もほとんどなくなってしまいました。
そんな時に節約したことは、食費を抑えることです。
あと無駄遣いもしないようにしました。
電気代もかからないように気をつけていました。
一番は食費で、安いモヤシの使った料理などを頻繁に食べていました。
家電製品は一度にまとめて買わなくても良かったなと後悔しています。
少しずつ検討して買うことをおすすめしたいです。
副業詐欺に引っかかって
現在、結婚して25年になりますが、まさに今、生活に困っている状況です。
実は、共働きをしていて、それでもローンの返済などがあり、ギリギリの生活だったのですが、私の方が過度のストレスで、うつ病を発症してしまい、退職せざるを得ない状況になってしまいました。
しばらくは、失業保険のおかげで、なんとかやっていましたが、その保険も切れてしまい、主人の給料だけで、やりくりしなければならず、何も出来ない自分に、毎日、罪悪感を感じていました。
こんな私でも何か出来る事がないか…と、スマホばかりいじってたら、「副業」で稼ぐ!というのを見つけ、主人に内緒で申し込んでしまったら、それが、90日コースとか、コースによって、まずは支払いをしなければならないとの事。
で、相手の、
「それだけ支払っても、すぐにもとが取れますし、稼げますよ!」という言葉を信じて、カード会社4社から決済してしまい、その金額が約80万円ぐらい。
副業は、サポート付きという話しだったのになんの連絡も無く、案内ではとても簡単に稼げる!と書いてあったのに、思っていたようなものでもありませんでした。
結局、騙されてしまい、カード会社からは、それぞれ一括で請求がきてしまい、どうする事も出来ず、司法書士事務所へ相談し、債務整理に入ってもらいました。
ですが、この手数料がまた、高くて、毎月、46000円を5年以上支払っていかなければならなくて…。
家計を助けるためにと思って、変なものに手を出してしまい、とうとう主人にも隠しきれず、今は、その日暮らし、という感じです。
毎日、どうやって食べていこうか…?と、頭を悩ませています。
とりあえず、実家から、家庭菜園で収穫した野菜をもらってきたり、100円ショップで、調味料や、ふりかけなど、使えそうなものを買い、ドラッグストアで、1袋30円ぐらいの もやしや、納豆を買うようにしています。
とにかく、いかに安く仕入れるかです。
ネットでは、「2タップするだけで◯万円!」だの、あり得ないような副業の紹介が たくさんありますが、冷静に考えれば、あり得ませんよね。
こんなのが本当なら、みんな働いてないでしょう。
私のせいで、家族に余計に迷惑をかける事になってしまい、本当に後悔しています。
すでに、家賃も3カ月分滞納していて、経済的には本当に、最悪です。
世の中に、そんな うまい話しはありませんので、気をつけた方がいいです。
悔しいですが、今更 やってしまったことを考えても仕方ないので、前向きにやっていくしかありません。
ほかの方には、こんな辛い思いをしてほしくありません。お金が無いと、心にも、余裕が無くなります。
早く普通の生活がしたいです。
妊活の支払いで生活の基盤が揺らぐ
結婚5年目の時で妊活中の時でした。
毎月不妊治療費の為に数万から数十万円飛んで行ってました。
そのためとても金欠状態になってしまい生活が危うくなっていてしまいました。
お金がないのに不妊治療費にお金をあてていたので支払い等を後回しにしていたので、そのツケが後から回ってきてしまいました。
それじゃいけない!と思いまずは生活の基盤が整うまで不妊治療を止めて毎月きちんと支払いや生活費を給料が出た日に分ける事から始めました。
わずかな出費ですぐピンチに
結婚1年目で同棲してもう4年になります。
今は育児中で育休手当てをもらってはいますが旦那だけでの収入です。
生活費プラス旦那が酒好きなので必ず月1でダンボール買いをして高つくので生活費がギリギリ間に合うくらいでした。
ですが、子供の服を買うなどしているとどうしてもお金が足りず。
もう少し生活費を欲しいと言っても、もーあげれるお金はないと言われ自分の貯金に手を出したりしています。
なので小遣い稼ぎに内職をしたりして稼いでいますが足りません。
豪華な挙式で金欠だけど後悔なし
結婚1年目、海外挙式と国内での披露宴のために貯金がなくなり、1番出費の多い食費を月夫婦で3万円と設定しました。
なるべく外食はせず、スーパーのチラシで安い所を探しては、お買い得商品を買ってなんとか食費を抑えました。
結婚後、会社を退職しましたが、少しは貯金していかなければならず、旅行など少し贅沢もしたい思いがあったので、私も転職して働くことにし、共働きで頑張っています。
結婚式は海外で豪華にやりたかったので、後悔のないよう思いっきりお金を使いましたが、思う存分やりたい結婚式ができて後悔がないため、今金欠ですが、頑張れています。
想像外の病気で
子供が中学校に上がる直前、主人がガンだと分かった。
かなり進行していて転移もしていた。
色々な制度を使っても、入院や手術、病院までの交通費で貯金はどんどん無くなっていく。
医療費だけで数万円は簡単に出ていく。
収入は減るのに支出は増えていく上に支払いは待ってはくれない。
だんだんと精神的にキツくなってきても、自宅療養で介護をしていたので働きには行けず、傷病手当でやりくりをしていた。
子供と主人は栄養ある物を食べさせたいから自分は粗食にしたり、時には朝昼と抜いたりもした。
自分達は関係ない、大きな病気にはかからないなんて考えず、しっかり備えて保険には入っておいた方が良いと思う。
就職活動の電車賃すら困る始末
結婚2年目子供なし。
自分も転職(時給制)したばかりの時に、主人が相談なく退職を上司に話す。
貯金も今からと思った矢先の話でした。
生活費の支払い(カード払い)もあり。自分のお給料では支払いきれない状態になりました。
一ヶ月ぐらいはなんとかなりましたが、中々仕事も見つからず、私も残業を増やし頑張りましたが時給制なのでそんなに稼げず。
帰ってきてみれば旦那は仕事探すきあるの?という感じで携帯で遊びまくり。
女の子とイチャイチャ。
面接にも交通費かかるしスーツも用意しなければならず、借金は膨らむ。
毎月10万の赤字をローンで借りましたが3ヶ月目でついにぶちギレ。
とっと決めろと言ってなんとか仕事を見つけさせましたが、収入が低くその時借りたローンが今も返済で苦労してます。
またその時残業を沢山して無理したストレスでその後私が病気になりました。
はじめから両親に相談すればよかったです。